種岡亮太と群青

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* * * 逃げた先のことなんか、何一つ考えていなかった。 旅館を出て、それでも走って、走って… たどり着いた先はいつもの浜辺だった。 あの日語り明かしたこの場所は、変わらず漣の音が聞こえる。 俺は晩夏の冷たい風に当たりながら、その場にしゃがみこんだ。 人一人いないこの空間で、俺は孤独を嗜んだ。 だが、それも束の間。 そもそも、俺がこいつから逃げるということが甘い考えだったかもしれない。 ザッと歩みを止めた足音が聞こえたとき、俺はそう思った。 「綺麗な場所だね」 そいつは、静かなトーンでそう言って、俺の隣に座り込んだ。 「種岡のお気に入りの場所?」 にこっと微笑むそいつ…統吾の問いを俺は受け流した。 「なんでここがわかったんだよ」 土地勘のない人間が、俺を見つけるだなんて雲を掴むような話なのに、こいつはいとも簡単にやりのけたのだ。 だが、統吾の答えもいつも通りだ。 「ここに種岡がいる気がしたから」 これが統吾の特技みたいなもので、俺がこいつに敵う訳がなかった。 こんなことをしょっちゅう見てきたからこそわかる。 俺は統吾の顔を見ないようにひたすら波を見続けた。 「…気分、落ち着いた?」 それでも、統吾は冷静に俺を宥める。 「悟のこと、悪く思わないでね。あいつは、そういう奴なんだ」統吾はそうフォローを続けた。 だが、フォローなんかしなくても、あれが悟なりの優しさだってことをわかっていた。 わかっていたからこそ、つらいのだ。 俺はつらさを誤魔化すためにぎゅっと拳を握った。 そのシグナルを統吾は見逃さない。 全てを透かしたうえで、統吾は語る。 俺が知ることのできない、彼らの世界の話を。 「俺らでもね、全部が全部視える訳じゃないんだ。視えるのはあくまでも未練とかでこの世に留まった魂…成仏していない魂なんだ」 それはつまり、アキがもしこの世に留まっていたら、彼は成仏できていないということ。 その未練は、統吾たちでもどうしようもできないこともある。 たとえば、"生きることの執着"とかーー もし、そうなったら、アキの悲痛な叫びを俺は受け止めることができるのか。 "もっと生きたい" 叶えもしない彼の願いを聞いて、俺に何ができるのというのだ。 そのことを、悟と統吾は知っていた。
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