第二十四章 西上作戦。

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元亀三年(1572年)10月3日 信玄の号令の元.甲府に, 精鋭の大軍団.約三万が集まったのである。 信玄は事実上.織田家との同盟を破棄したが,信長に対し有好的な書状を送り続けていた。これも名将.信玄の策であった。 信玄(皆の者,これより京の都に向け進軍致す。今こそ戦国最強の軍の力!!見せ付けてやるのじゃ!!) 武田兵はいつに増し士気を高めた。 武田信玄.出陣の報は,各地に散らばったのであった。 信玄は,信長の領土.東美濃に向けては秋山信友以下三千の兵を差し向けた。 家康の領土.三河へ向けて山県昌景以下五千を差し向けたのであった。 武田軍出撃に.相模の北条家から援軍約三千も加わり信玄本体約二万五千の大軍で遠江を目指し進軍したのだった。 -岐阜- 信長(この時期に武田が動いたか!!兵も各地に回さねばならん。近江に浅井.越前に朝倉.摂津に三好.大坂に本願寺.大和では松永が. そこに東から武田か...) 信長は.四方を敵に囲まれていた..そこへ最大の驚異とも言える武田軍が進軍を開始したのであった。 武田家は今や,甲斐.信濃.西上野.駿河.三河.遠江.美濃.飛騨.越中の一部にまでその勢力は及び石高も120万石を数える大大名であった。
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