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沙夜は唖然とした表情で、僕を見つめた。
咄嗟に駆け寄り、僕を上から覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
恥ずかしいのと、あの生物に対する恨みが混じり、彼女の顔をちゃんと見れない。
ふところに隠したのか、彼女の手にはもう『かんざし』は無かった。
余計なことを仕出かした、と自虐しながら、体を起こす。
背には彼女の手が、かろうじて僕を支えていた。
そんなことをしなくても、自力で起き上がることぐらい出来る。
と、少し反抗心を抱いて、彼女を見遣った。
まだ、先程の名残か、目の奥に違う何かが見える。
「君が言ってたレストラン、行ってきたよ」
畳の緑を見つめながら、彼女に語る。
本当は、かんざしのことが聞きたかったけれど、聞いてはいけない気がした。
「私が言ってたあの珈琲店?」
「うん」
きょとんとした顔で僕を見つめる。
とても20歳過ぎた女性だとは思えないくらいの、純粋な瞳で…。
僕は、こんな目をしているだろうか。
考えるだけ無駄だとは、分かっているのに…。
「そう…」
沙夜は俯き加減で呟いた。あまりいい様子ではない。
「僕、出ていくよ」
いきなりの発言に、彼女は先程よりも増して驚嘆している。
でも、僕は彼女にお礼を言いに来ただけで『帰ってきた』というわけではないのだ。
元々、ここに居座る気持ちはなかったし
ここらが調度いいところだろう。
「でも、行く宛無いんじゃ…」
「平気です」
何が平気なのかは自分でもわからない。
しかし、心配そうに僕を見つめる彼女に、これ以上迷惑はかけたくないし、情も持ちたくない。
ここにいるメリットもない。
僕は立ち上がり、乱れた服装を整えた。
「さよなら」
冷たい声だと自分でもわかる程、冷徹になっていた。
彼女の視線から逃れるように、僕は襖の外へ出ていく。
彼女は何も言わなかった。
ただ、ただ、僕の姿だけを見て、口がほんの少し開いて何かを言い足そうとしていたけれど
結局のところ、それを声にはしなかった。
それでいいのだと、僕は有り難みを感じていた。
彼女が二度と僕に会うことが無いように願いながら、再び表に出る。
さっきより空の赤が濃い気がした。
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