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やはり、余計なことを口走っただろうかと後悔を抱く。
「そんなことはない」
その声に振り返った時、僕の頭を彼の大きな掌が包んでいた。
僕より優しい手が、頭部を愛でている。
「迷惑ならこんな面倒なことはしないさ」
慣れない優しさに戸惑い、硬直してしまう。
それと同時に、何かグッとくるものが僕の中にはあった。
マスターの顔を見るのが恐い。
『愛でる』という行為に慣れていない僕にとって、不覚だった。
スープが僕の手中で踊る。
「あ…りがとう」
口から出た言葉は、今の僕が出来る最大の感謝の意だった。
朝。
マスターが起きるよりも早く、僕は目覚めた。
朝というには早過ぎる程の暗闇。
暖炉の火は、とうにかげっていた。
毛布から足を出す。
肌寒い空気が僕を引っ張る。
マスターは穏やかな顔をして椅子にもたれ、寝ていた。
起こさないように前を通り、ドアを開ける。
そのままお店に続いていたみたいだ。
珈琲の香に心を揺さぶられながら、ドアを開ける。
一気に冷たい空気が押し寄せてきた。
「……はぁ」
白い息を吐く。煙突の白い煙を思い出した。
あれよりはまだ害は無いはず。
階段が崩れたりしないか気にしながら地に足をつける。
石の感触が靴越しにでも分かった。
毛布を首まで覆い、空を見上げる。
闇の中で星たちが賢明に輝いていた。
「………」
何も誰も喋らない。
ただ、僕の口から薄く、白い糸が漏れるだけ。
ぼんやりと夜空を眺めて思う。
今が、どれだけ幸せなことなのかを。
でも、僕は地上が全てだとは思わない。
僕にとっては飛ぶことこそが救いであり
居場所であり
生きる理由なのだ。
こんなとこにいなければ、今すぐにだって飛べるのに、人間はいつだって僕を縛ろうとする。
帰り道を知らない僕。
頭の中で途切れ途切れの記憶。
母さんの顔も、もう思い出せない―…。
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