或る芸術家の論述

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失われた主体、美意識の下で『満たされた』という思いはさぞ空虚だろう。それに怖れを抱くこともあるだろう。 己を求めることと自由を求めることは本質的に違う。 己を求めるとは、生まれ落ちてより積み重なった自らの殻、イクォル檻を見いだすこと。 意に沿わぬ行為を強要する束縛から逃げるのなら、己の築いた檻を看過すべきでは無い。それこそが何よりも強い束縛なのだから。 「救われたくば縛られよ。」普く御教えはそう語り、時にそう騙る。 半ば真実、半ば虚構。 己を縛り、打破すればそれが救いになる。 自分を守り慈しみ厳しく律し罰し支える全ての者を、守り慈しみ律し罰し支え、時に自らを捧げよ。 結婚が墓場なら、今生きている人間の何割が墓石の隙間から生まれ出たと言うのか? 縛るのは美意識、破るべきは己の殻。 自らの美意識そのものと、その選択した全てに服従する。 己が己の服従するものに祝福される存在か否かを量る。 それが生きる価値と意味を作るなら、そのプロセスこそが芸術である。
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