ある生き物の話

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「優奈ちゃんのほうがすっごく可愛いわよー?」 くすぐったそうに笑う優奈をぎゅーっとしたくなったが、すんでの所で思い止まったのは、偏に着崩れるのが嫌だったからに相違ない。 優奈の浴衣なら直すのも苦にはならないが、自分のは面倒なのである。 「明日はパパも一緒に行けるといいねーママ」 「そうねー」 絶対行くと心の中で誓った美伊奈は、優奈の下駄を用意する為に玄関へ歩いて行った。 オレンジがかった白熱灯の光があちこちに連なる。むっとした湿り気のある空気が、電球と屋台の火気によって温度を更に上げているようだ。 人いきれの中を優奈の手を引きながらゆっくり歩く。勿論疲れてしまえば、抱っこしてあげようという気はあるが、優奈自身が歩く気満々なのに、それに水を差すような真似はしたくない。 綿菓子と林檎飴を購入して、ヨーヨー釣りなどに興じて、階段に座りながらたこ焼きを食べ。 たっぷり堪能したから、そろそろ帰ろうか、という時点での出来事だった。 「ママ、ひよこ」 子供にとっては(一部大人にも)、魅惑の生き物、ひよこ。 現在では少なくなったのだろうが、金魚掬い、亀釣り、カラーひよこは、子供時分に一度はやった(出会った)経験がある人が殆どだろう。 あの愛らしさに抗うのは困難を極める。 すっ飛んで行った優奈を追いかけて、美伊奈はその屋台に近付いた。 「かわいいねー……」 幸せそうに眺めている優奈を見て、美伊奈は何故カメラを持って来なかったのかと、自分の迂闊さを嘆いた。 可愛い生き物が、小さな生き物と一緒にいるという、可愛らしさの相乗効果は絶大なものがある。 「お嬢ちゃん、これ可愛いだろ? どうだい一匹」 優奈は美伊奈を振り向いて、見上げた。 「ママ、ひよこ……ダメ?」 上目遣いにお願いされると、嫌とは言えなかった。 表面上、世間の常識と照らし合わせて、『駄目なことは駄目とちゃんと躾る親』を取り繕っている美伊奈だが、中身は『娘溺愛の超駄目親』なのである。その彼女は今、試練の場に立たされていた。 すぐさまいいと言えば、何でもワガママが通ると思う子供になってしまうかもしれない。だが、駄目だと言えば、優奈は悲しむ。……ひよこはすぐ大きくなり、可愛くなくなってしまうかもしれない。そうしたら、優奈は泣くだろうか。
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