第三章

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         /1  気づけば言葉の手は叶助の手から離れていた。  少しだけ軽くなった手は、僅かに汗ばんでいて、そして妙に寒々しく感じた。  自由になった手をポケットに入れて、空を仰ぐ。  群馬色のカーテンが橙を隠そうとしていた。もうすぐ辺りは暗くなる。 「帰ろうか」  ここがどこなのかもよくわからずに、叶助は言葉の背中にそう告げる。  返答はなかったが、言葉は立ち止まった。叶助は言葉の隣に並ぶ。  言葉は顔を伏せながら、何かをぶつぶつと呟いていた。  叶助は少しだけ迷ってから、そのコトバに耳を傾ける。 「……よ、あの女、能登が好きなんじゃなかったの、なんであんな、あの人はわたしの」  かなり断片的だが、聞こえてきたのはおそらく呪いのコトバだった。 「言葉……さん?」 「能登!」 「はい!?」 「……帰るわよ」  言葉は身を翻し、来た道を再び戻っていく。 「二人のところに?」 「家に」  笆乃達とは合流せず、帰宅するらしい。  確かに、今の状態でどんな顔して会えば良いかわからなかった。  叶助は異論を唱えずに言葉の隣について歩いた。  しかし、言葉はすぐに立ち止まってしまう。  叶助は言葉の顔を覗き込み、ギョっとする。  ホラー映画を見ても表情一つ崩さなかった言葉が、今にも泣きそうな顔で歯を食いしばっていた。  ああ――そうか。  当たり前だ。  意外なんかではない。見たい映画に恋愛映画を選ぶような女の子なのだ、言葉は。  何とも思っていないわけがないのだ。  その理由がどうであれ、好きな人が自分以外の人間とキスをしていたのだ。  叶助がショックを受けたように言葉だってショックを受けたに違いない。  だが、言葉は感性力異能者だ。  そこに“敵”がいる以上、下手に感情を見せてはいけない。  涙ひとつ、流してはいけないのだ。  いや、そればかりか、どんなに楽しくても好きな人と笑うことさえ出来ないのだ。 「なんで……そこまで、“力”が勿体ないかよ」 「あんたには、……わからないわよ」  それは当然、力のない叶助にはわかりはしない。  わからないからこそ訊いているのだ。  しかし言葉は何も答えず、泣きそうな顔のままそこから動くことなく立ち尽くすしていた。  
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