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「確かにそれだけでかい声が出れば大丈夫だな」
降参だ、とでもいうように両手を挙げてつぶやいた良尚に、村人たちからどっと笑いが起きた。
「さあ、もうひとふんばりだ」
皆の笑顔を満足げに見た良尚は、そう言いながら泥のついた手で鼻の下をこする。おかげでヒゲのようについてしまった泥も気にする様子もなく、畑仕事を再開した。
松吉はその横顔をまじまじと見つめた。
良尚の顔は連日の畑仕事により、薄ら日に焼けている。長い黒髪を一つに束ね、泥だらけの着物を着ていると、どこから見てもこの辺り一帯を治める豪族の息子には見えない。しかも血筋においては、四代さかのぼれば皇族に行き当たるという話を耳にしたこともある。
だが、そのようなことは、今一緒に農作業をしている村人たちのほとんどが知らないことで、松吉自身、普段はそんなことをすっかり忘れてしまっていた。そのくらい良尚は気さくで、気立ても良く、気安い雰囲気を持っているということなのかもしれない。この武射村(むしゃむら)の者たちは、良尚のことは変わり者の若様としてしか認識がない。
それもそのはず。有力豪族の嫡子だというのに、良尚は頻繁に村人の様子をうかがいに来ては、農作業についてあれこれ質問し、一緒になって土まみれになった。とは言え、手伝いとはよくいったもので、村人にとって見れば農作業の“の”の字も知らないような貴族の若様が土遊びをしているようにしか見えないのだが。
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