第一章 月見酒

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もし、家も町も健在で、家族や友達がどこかにいたとしても。 会いたくない。 戻りたくない。 見ず知らずのこの人たちと一緒に居たほうが気が楽だ。 今までの自分を忘れられる。 自由になれる。 「……うちは構しまへんけど、お家の人が心配なさるよ。あんた、おいくつ?」 「十七です。けど、家の人は、いないんで心配しません」 あたしが少し暗そうな表情を浮かべると、お龍さんはそれ以上追及しようとはしなかった。 すごく空気の読める人。 と、その空気を知ってか知らずか、「坂本」さんがあたしの背中をばしばし叩きながら大きな声で言う。 「そういうことで、今日はお客さんぜよ。お登勢さんはおるかいのう」 「坂本」さんは、腰の日本刀を抜きながら、わらじをポンポン脱いで、一段高い床に上がった。 「万里さん? も、上がって。お二階の部屋、案内します」 あたしも履物を脱ごうとして、あっと声を上げた。 ……あたし、ぞうりを履いている。 無意識に胸のあたりを探ると、着物の合わせ目にあたる。 おかしい。 あたし、ぞうりを履いた覚えも、着物を着た覚えもないのに。 違和感を感じながら、案内されるままに階段を上った。 ぎしっ、ぎしっ、ときしむ。 おばあちゃんちみたいだ。 ――ううん、それ以上にきしむ気がする。 そして、二階は暗い。 この日本家屋には、電灯がないの? 「今日は二階にお客さん、龍馬だけだったんよ。明かりもつけんと、すんまへんなあ」 言うなり、お龍さんは手前の部屋のふすまを開ける。 「そこで待っといて」 あたしは言われたとおり、そこで足を止めた。 お龍さんは部屋の中を探り、何かを引き寄せた。 そして、胸元から石を二つ、取り出して、カチッと打ちつけた。 火打石、て、やつ? 初めて見た。 ニ三度打ちつけ、部屋が少しだけ明るくなった。 お龍さんが引き寄せていたのは、枕元に置くスタンドみたいなのだった。 なぜか障子みたいに、紙が貼ってあるけど。 「すぐに龍馬も上がってくるやろ。そしたら、一緒に夕餉、召し上がって」 お龍さんは、あたしと「坂本」さんのことを何も追及しない。 どうも、お互い好きあってそうなのに。 「ありがとうございます」とあたしは軽く頭を下げた。 お龍さんは、おそらくにっこりと笑って部屋を出ていく。 “おそらく”ていうのは、暗くて、表情が確認できなかったから。
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