第一章 月見酒

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今宵は、満月。 月を肴に飲み明かそうぞ。……「坂本」さんは杯を傾ける。 そして、一度も畳に置こうとしない。 「これは、わしの国から持ってきたもんじゃ。土佐の杯は、穴が開いちゅう。指を離したら、酒が流れてしまうきに」 そう言って、あたしにお猪口の中を見せてくれた。 確かに、底の近くの側面に5ミリくらいの穴が開いている。 あわててあたしは自分のお猪口に目を落とした。 「ははは、おんしのは店の普通の杯じゃ」 「坂本」さんは、えらい上機嫌だ。 さっきまで、あんなに泣いていたくせに。 ……それとも。 何か、哀しいことがあって。 それを忘れるために、飲んでいるの? 「坂本て、本名なの」 いまさら何て呼んだらいいのだろう。 あたしはお猪口に口をつける。 全然、おいしくない。 大人の人がおいしい、おいしい、て言いながらお酒を飲む気持ちが分からない。 こんな苦くて、熱くて。
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