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「そんなつもり……全然ない!」
私はワルに近寄り、掴んだ彼の人差し指を彼自身に向けさせようとした。
ワルも向けさせるものかと、必死に抵抗をしている。
そうしているうちに、いつの間にか勝負事のような展開になっていた。
私もワルも意地を張って勝ちを譲ろうとしない。
その間、二人共黙々と集中し続けている。
これではまるで、負けず嫌いな子供同士がむきになって、指相撲をしているようだ。
私はこれから成人の儀に向かおうとしているのに、なんて大人気ない事をしているのだろう。
次第に、私の荷物を持つ左手が汗で湿ってきた。
汗ばんで来た手から荷物が少しずつ落ちそうになり、私は思わず荷物に気をそらしてしまう。
ワルはその隙に私の指から逃れ、自由を得た指で再び私を指さした。
「お前さ、本当はオレの名前覚えてんだろ?」
図星だった。
でも私は返事をしない。
返事を返そうにも、何と言えば良いかわからない。
ワルは答えずにいる私に向かって、続けざまに言い放った。
「覚えてるのに名前で呼ばないのは、恐いからなんだろ?」
何故それが判ったのだろう。
名前で呼ばないのは覚えていないからではなく、恐かったからだということを。
繰り返される毎日のやりとりで、ワルの名前はネクトだと記憶していた。
でも私は、ずっとそれを言葉に出来ないでいた。
変わりたいと思っていたのに、そうする事で変化のない毎日が変わってしまう事に恐れていたから。
『お前なんかに名前で呼ばれたくない』
そう言われたら、と思うと誰の名も呼ぶことが出来なかったし、次第に人の名前を覚える事が出来なくなっていた。
ただ、毎日繰り返し紡ぎ出される『ネクト』の名前だけは私の記憶に残り続けていた。
けれども、それを言葉にする事はなく、それは死ぬまで一生続くと思っていた。
「覚えてるなら最後の日くらい名前で呼べよな!」
その言葉を聞いて、私は何故出てきたのかわからない涙を、ほんの僅かに流した。
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