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全長 28.13メートル
全幅 38.00メートル
発動機 金星33型四基
1950馬力
乗員 10名
兵装
20ミリ機銃 五基
7.7ミリ機銃 二基
250キロ爆弾 10発
もしくは
800キロ爆弾 2発
もしくは
魚雷 2本
戦争全期間において、日本海軍の主力飛行艇を勤め、戦後、『世界最優秀の飛行艇』と称賛された機体。
川西飛行機の自主開発機で、官民共に納入され、絶賛された九七式大型飛行艇の後継機だが、違いは爆撃機としての色彩を強めた事にある。
これは当時、中島飛行機が開発を進めていた4発攻撃機、深山の影響を受けたためである。
九七大艇で、国内最大手の飛行艇メーカーの座にのし上がった川西だが、まだそれで終わるつもりはなく、本機はその野望を賭け、川西の総力を挙げての開発となった。
川西は、長大な滑走路、つまり建設工事に多大な費用と労力が必要な陸上機とは違い、岸辺に整備、補給設備を建設すれば、すぐに作戦投入できる、爆撃飛行艇を海軍に強く進めた。
当初ライバルだった三菱が開発から手を引き、安心して開発を進めていた中島飛行機は、突如として開発に参入した川西の行動に、強い懸念を表明したが、川西機の性能を喜んだ海軍は結局、双方の機体を採用。
一式大型飛行艇として採用された機体は、搭乗員から一式爆艇と呼ばれるほど、高速重防御、重武装の機体として登場した。
登場した頃は、高価な機体であるため、量産が難航したが、中島の深山が不具合多発で少数機の生産に終わったことから、その代替機として、次第に量産が進められていく。
主な量産型としては、 ハワイ真珠湾爆撃に参加した、11型。
引き込み式車輪を追加装備し、陸上飛行場に着陸可能とした21型。
航続距離が低下した変わりに、防御を一層強化し、防御機銃を全て13ミリ機銃に改めた、32型。
機体の一部を木製化し、
偵察、輸送任務用に特化させた52型(通称、晴空)
などがある。
総生産機数は478機。
戦後も引き続き軍用として活躍し、民間に払い下げられた機体は遊覧飛行用、
山火事の際に備えた消火用飛行艇として改造、使用されている。
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