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「奥、さん?」
何故、ここでそれが出てくるのだろう。
訝しげな私の視線と、悲しげに笑ってこちらに顔を向けた深山さんと目が合った。
「僕が甲斐性なしだから逃げられちゃったって話、前に琴ちゃんにしたっけね?」
「ええ」
「それをさ、更に詳しく話すと逃げられた上に……死なれちゃったの」
思いもよらない最後の一言に、心臓が止まったのかと思った。ぎょっとして目を見開いてしまう私に反して、深山さんはずっと笑ったままだ。
「彼女は感受性が豊かな人でね。有体に言ってしまえば、脆い人だった。些細な事で喜べる半面、小さな事で酷く酷く、傷ついてしまう人だったんだ。繊細さが容姿に表れてる部分もあったなぁ」
リールを巻き取る筈の手は、さっきからずっと止まっている。深山さんの表情も凍りついたように止まっている、笑みのままで停止している。
その瞬間、思った。ああこの人はもしかしたら泣けないのかもしれないと。
深山さんはよく笑う。悲しそうなときも怒りそうなときもお腹がすいた時も。ただ笑う、笑っている。その表情以外の仮面を、どこかに置き忘れてしまったかのように。
「綺麗な方、だったんですか?」
「うん。華奢で線が細くて、台風が来たらぴゅーって飛ばされちゃいそうな感じ。彼女は子供が出来ない体でさ。僕も彼女自身も知らなかったんだよ。それが判明したのは結婚して数年目だったっけな。親族はアレコレ言ってきたけど、でもそんな事で別れようなんて僕は微塵も考えちゃいなかったよ。彼女が……好きだったからね」
耳を塞いで「止めて!」と叫びたい衝動に駆られる。そんな言葉、聞きたくもない。
だがこの告白を静止してはいけない。深山さんが、いつもはへらへらと笑い、私の「好きなんです」をのらくら避わし続けてきたこの人が、初めて何かを、明確な何かを私に告げようとしているのを感じていた。
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