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深山さんとはセミナーで会った。何かの資格取得の為だったとは思うが、はっきりとは覚えていない。別にあっても無くても良い類の、履歴書に書いても書かなくても良いような、そんな資格だ。 セミナーの講師は実につまらない授業をした。私は後方の長机に座って、テキストを申し訳程度に開いて鉛筆を握りながらうつらうつらと舟を漕いでいた。 その隣に座っていたのが、深山さんだった。 居眠りをしていてがくん、と私の頭が前に垂れた時だった。体重がかかったのか、握っていた鉛筆の芯がぱつんと折れた。その衝撃ではっと目が覚めた。 有り難い事に他の人は気付いていないみたいだった。と、いうか半数近くが私のように夢うつつの世界を彷徨っているようだ。でも深山さんは起きていて、私の揺れる様をしっかりと見ていたらしい。 鉛筆が折れてしまって、しかし運悪く私は他の筆記用具を持っていなかった。どうしようか、ペンの一本も出てこないかと鞄の底をさらっていると深山さんが私に囁きかけてきた。 「書くもの、無いんですか?」 「ええ」と頷くと「ちょっとすいません」と私の折れた鉛筆を手に取った。年季の入った皮の鞄から渋い色の筆入れを取り出しチャックを開く。小刀を持っている人を見たのは、小学校以来だった。 持っていたノートを1ページ破り取り、その上で深山さんは鉛筆を丁寧に削った。 さくり、さくり、と微かに木片と鉛を刻む音。まるで電動の鉛筆削りを使ったように、きれいな形に先端を整え「はい」と深山さんは私に鉛筆を返した。 屑の乗った紙を折りたたんでいる深山さんに、私は「ありがとうございます」と囁いた。 それが、最初。何度か言葉を交わす内に親しくなり、食事に行くようになった。 色々、話をした。最初と最後が全く脈絡ない話を沢山。初めから私と深山さんの会話はそうだったように覚えている。
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