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ぽちゃんと音が響く。イカは一瞬動きを静止した。自分に今起こったことが、さっぱりわからなくて混乱しているようにも見えた。
餌物だと思ってしがみ付いたものには鋭い針がついていて、絡み取られて陸の上に引き上げられて、よくわからない大きな物に弄ばれた挙句、また水の中に戻された。
防波堤の下をと巡回するように泳ぐと、やがてイカはすぅと深い場所へと潜っていく。白い体を、10本の手と足をひらひら揺らめかせながら。闇の中に消えていく。暫く二人して無言で、水面を見つめていた。
「夜釣りがね、怖かったんだよ」
呟くように、囁くように深山さんが言葉を発した。
「と、いうか海がね。一人で来るのが怖かったんだ。物思いに沈みながら釣り糸垂れているとね、水平線から何かが手招きしているような錯覚に囚われるんだ。水の上に、遠い海のどこかにアレが立って僕を恨めしげに見ているような、そんな気がしてね」
アレ。海で死んだ、深山さんの大切な人の事だろう。
「そんなの気のせいなのは百も承知だよ。むしろ僕は現れて欲しかったのかもしれない、恨み言の一つも言って欲しかったのかもしれない」
ぼんやりと、深山さんは立ち尽くしたままで海の彼方に視線を結んでいる。遥か遠いをどこかを見つめようとしているのかもしれない。
「ふとね。衝動っていうんだろうか、思いついたら居てもたってもいられなくてね。琴ちゃんと一緒に釣りに行ったら楽しいんじゃないかなって。海はもうきっと怖くないだろうって」
深山さんを見上げる。深山さんもこちに視線を向けた。目線が絡む、私を見つめて深山さんは静かに微笑んだ。
「だから、きっとそういう事なんだろうって。今ね、思っちゃった」
「どういう、事です?」
訝しげに首を傾げる私の頭を、ぐりぐりと深山さんは撫でた。
「それはゆっくり、おいおい、ね。今度ちゃんと話すよ。でも……ありがとう琴ちゃん」
「どういたしまして……ってよく解んないんですけど」
「さぁて、次は大物が来ると良いなぁ」
何のことやらさっぱり理解出来ない私を無視し、能天気に明るく言って深山さんはまた釣竿をしならせた。
緩やかに弧を描き、餌木が飛んでいく。
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