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ふと目をさました。枕元の目覚まし時計は、午前三時。草木も眠る丑三つ時。
でも、隣の兄の部屋から微かに人の気配がする。蛍光灯の豆球だけの、橙色をした薄暗い世界の中で兄が鞄に服を詰め込んでいるのが襖の隙間から見えた。
「兄、ちゃん?」
寝ぼけ眼をこすりながら声をかけると兄は一瞬びくりと体を硬直させた。
「なんだ、琴子か。脅かすなよ」
「どうしたの、こんな夜中に?いつ帰ったの?」
「しーっ!」と兄は人差し指を唇に当てた。
「静かに。お袋とお前の親父さん、起きちゃうから」
兄の部屋は惨憺たる有様だった。箪笥から何枚も服が取り出され、ベットの上には無造作に投げられた雑誌やCD。勉強机の引き出しは開けっ放しで、何かを探した形跡が有った。
大きな旅行鞄にはぎっしりと服や歯ブラシやタオルや雑多な物が色々詰め込まれていた。
「どこか、行くの?遠足?修学旅行?」
そう尋ねると兄は困ったように言葉に詰まって、やがて静かに答えた。
「うん、行くんだ。どこかに……うん、どこか凄く遠くに」
ぴんと、感じる物が有った。
「家出、そうでしょ?」
「ああ」と兄は静かに頷いた。
「やだ、兄ちゃん!もう帰って来ないとか、嫌だ!」
慌てて兄の体にしがみ付いた。「馬鹿、騒ぐなって」狼狽しながら、私を小さく叱りながらも、兄はしっかりと抱き返してくれた。
「何もずっと帰ってこないって言ってる訳じゃないよ。ほんの少しの間だけだ。兄ちゃんこの家から、町からちょっと離れるだけなんだ」
「兄ちゃんは、ここが嫌なの?お家もお父さんも、学校も?」
「うん、あまり好きじゃないかもしれない」
「でも、でも嫌だ!」
兄の体に、更に力を込めしがみ付いた。「参ったなぁ」と兄は小さく笑った。
そしてひょいと私の体を抱き上げ、そのままベットに下ろす。その隣に兄も並んで座った。おでこにぴたんと兄のおでこかくっつけられる。
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