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私はそれを愛おしげに見つめる。
胸がキュッと締め付けられる感覚が私を襲う。
『改めてご挨拶に伺います』
あの時そう言った彼の言葉を思い出しながら。
──部屋の前に居ることがバレたらまずい。
なるべく音を立てないよう気遣いながら、私は自分の部屋の前まで慎重に移動をした。
ドアノブに差し込んだ鍵を右側に回す。
午後8時。
やっと自分の部屋に帰って来た。
今日一日、本当に長かった。
自分の存在を隣に住む彼にアピールする為に、私は玄関のドアを思い切り閉める。
大きな音が辺り一面に響く。
これで隣にも聞こえたはず。
ねえ、澤村さん。
私、帰ってきたんだよ。
早く私に会いに来てよ。
早くしないと、火照った私の体温で買ったばかりのロールケーキが腐ってしまう。
賞味期限は今日までなのよ?
私は、電気をつけたばかりの薄暗い玄関にしゃがみこんだ。
甘い香りのケーキの箱をそっと抱え込みながら。
今日彼は訪ねてくるんだろうか?
今日来ると勝手にそう思いこんでいた。
もしかしたら明日かも知れない。
いや……あさってかも――
段々と、不安が私を飲み込んでゆく。
どれくらいの時間、玄関でそうして過ごしただろう。
突然鳴ったインターホンが、それまでの静寂を打ち破った。
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