第六回

2/3
前へ
/296ページ
次へ
その昔💧岡山の城のお堀に夜な夜なホラガイを吹いた様な鳴き声をアゲル怪物が現れたと云う💧その怪物の名前は怪物(貝吹き坊)と云いまして💧土地の人々は非常に畏れていたと言います💧ある時💧豪胆で知られる男がこの妖怪を退治に出かけマシタガ・・・💧実はこの妖怪の正体は💧アメリカ原産のウシガエルではないかと云う説がアリマス💧確かに夜に聞くあの『ブォー‼ブォー‼』って声は怪物の鳴き声に思いますよね💧ところが💧アメリカ人はユーモラスで💧英名のブルフロッグ(雄牛蛙)と云う様に雄牛の鳴き声に例えられる他💧酔っ払いが『ラム酒オカワリ‼』とか『ラム酒もう一杯‼』とか云う声に例えられる様です💧💧さて💧このウシガエルが日本にやって来たのは💧1917年(大正六年)の事💧アメリカはニューオリンズから船に乗っての御来日となったのです💧💧日本に最初に着いたのは十七匹だった💧と謂います💧何故にこの蛙を輸入しようと思ったか💧もちろん‼国内向けの消費もアリマシタガ💧欧米向けの外貨獲得の為の輸出品用の新たな資源としてダッタノデス💧アメリカの特にサンフランシスコは蛙料理の本場です💧フランス風料理のラグー・ド・グルヌイユ・シポラータはちょとした高級料理ですレブ御用達のメニューとなっています💧本場のフランスでもアメリカ産直のウシガエルはエスカルゴやフォアグラやトリュフと並ぶ高級食材なのです💧世界最大級のゴライアスガエルにゃ及びませんが💧世界的にミテモ巨大な蛙です💧そして大正から昭和初期にかけて大不況に悩む企業や農家に養殖を奨励しました💧当時のキャッチコピーが『$を呼ぶ輸出水産物のホープ‼』です💧国内には一部を除き💧蛙食の習慣はなく普及はしませんでしたが💧第二次大戦中は輸出は止まりましたが💧戦後から再び対米向け輸出が始まり💧1949年(昭和24年)には年800トンを輸出💧日本円にして二億五千万円の米ドルを稼ぎました💧野性化した蛙を捕獲する為の(捕蛙用カーバイトランプや捕獲用アセチレン灯)も開発され💧湖沼や河川で蛙を捕獲する名人技もアッタト云います💧1969年(昭和44年)のBHC汚染騒動を契機に輸出が止まる迄💧貴重な外貨を稼ぎ続けました💧そしていまやその恩も忘れられ妖怪蛙はゲゲゲの鬼太郎ならぬ💧特定外来生物法によって💧息の根を止められ様としています💧日本人はきと祟られますよ💧💧〓
/296ページ

最初のコメントを投稿しよう!

244人が本棚に入れています
本棚に追加