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彼岸から此岸へ
朝、爽快な目覚めで軽い朝食のあと、悦子に誘われるまま散歩に出かける。平和台の坂道を下り緩やかに左カーブの歩道を左折すれば、直ぐに『流山駅』でた。駅前の観光看板を悦子が指先した。
『何が書いてあるわよ‼』
一行読んで、周蔵は身体じゆうに鳥肌がだった。
慶応四年四月三日夕刻…。
西暦でいえば1868年『流山の新撰組本陣(長岡七郎兵衛母屋)を西軍の先鋒隊に包囲。大久保大和こと近藤勇が投降。局長近藤勇と副局長土方歳三の別離の地となった。
更に、周蔵は唸った。四月三日夕刻と言えば、昨日の夕方周蔵が東武鉄道『流山駅』におりたった140年後であったのだ。
『あたし、土方歳三の大ファンなのよ‼』
周蔵はできすぎている。と、何が漠然とした直感を持った。
一雄が流山にマンションを持ったことを知らされていなかったし、なぜ新撰組の二人の別離の四月三日夕刻に悦子と再開したのか?偶然の一致なのか?
周蔵は悦子が自分の後ろに立つ悦子が息を凝らして観察しているとは、知るよしもなかった。
『ねえ。行ってみましょう?二人の別離になった本陣へ…』
流山駅から、すぐであった。5号線にでて、左に一丁ほどいって、5号線を渡れば直ぐである。悦子は周蔵の腕を確り掴み歩き始めた。
江戸城の明け渡しが四月十一日。板橋で近藤勇が処刑されたのが。四月二十五日。その間、土方歳三が勝海舟に助命嘆願書を書いているものの聞き入られず。切腹も許されず処刑され首を晒されるという死に恥まで掻かされた。
いかに薩摩・長州に怨みを買っていたか、想像できる。
流山二丁目の花屋のかどを回ったところで。周蔵が立ちどまった。
『流山の新撰組の本陣が、あること悦子知っていた‼』
悦子は一瞬、はいと頷きたくなるほどの気迫に押されながら
『今、知ったのよ。本当に…嘘じゃないわよ…』
悦子の瞳が、若干左右に動いたのを周蔵は、見逃さなかった。
周蔵は長岡邸に向かいながら一雄が勇なら、歳三は自分かもと思索していた。四月一日に江戸川を渡った新撰組一行227名は長岡邸からそほど離れていない。江戸川沿いにある流山寺と光明寺に分散して、宿営をはる。運が尽きると恐ろしいもので、全てがちぐはぐになる。
西軍の先鋒隊に本陣の長岡邸が包囲されたとき、大半の新撰組隊士は数キロ離れた山間で訓練中で、あった。包囲された本陣には近藤勇と土方歳三ほか数名の警護兵のみ
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