髪の香りと砂の味

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彼女はいつも、小さな本を読んでいる。大抵は書店のカバーを付けているから、タイトルはわからない。   細くて長い髪の毛を纏めて、これから10分間、僕が決して読むことの無い本を読むんだろう。休み時間の度、彼女の姿を確認するのは、すっかり僕の日課になった。       ペンケースを机に押し込むと、コウとマーシーの三人で購買部へ向かった。日常の些末な光景は僕らを画一化する。埃臭い廊下を歩きながらでは、画一化を拒否することが僕にはできないのだ。     三人で歩きながら、ずっとカワサキとかホンダかの話をして盛り上がって、帰ってくる頃にはすっかり吉原のことは忘れて教室に戻る。そして日常というものをこなす。日常が好きかどうかなんか考えることも無く。     放課後、日が暮れてからはコウはバイト先のファミレスに行ってマーシーは部室へ行くので、帰り道、僕は大抵は一人で自転車にまたがる。 ウォークマン片手に、半端に田舎の高校から半端に田舎な家へと帰るのだ。僕の自転車は死ぬほど格好悪いクリーム色のママチャリなので、自分でバイトして買い替えてやろうかとも考える。     これが僕のほとんどだ。   自由が欲しくて、母親はムカつく。 クラス友達と仲良くやれているし、彼女を作ることが今年の夏の目下の目標となってて、ローソンのからあげ君はレッドが好き。   ただ、そこには食い潰すにはでかすぎる時間が乗っかかっていて、それが僕には少し憂鬱ではあるのだが。 砂を噛んだことも、街中で叫んだことも無いし、これからもきっと無いのだろう。 冷蔵庫から麦茶を出して、タッパの結露を拭う。ひんやりと冷えた指先の指紋は、歪むことなくたった一つの模様を描いていて、汚れを知らない。 ふと、キッチンに見慣れない本があった。母の好きな本だ。幼い頃には興味があったが、読めるようになった今になっては興味を無くしてしまった。 そんなことを考えて、義務感から手を伸ばしたけれど、やっぱりやめておいた。   僕には指紋が削れる程の労働の経験も、カバーをテープで補正しなければならないお気に入りの本も無い。   四畳半の部屋に一人で、ウォークマンに耳を掛ける。 流れているのは、ミスチルの新しいアルバムで、僕は彼女はいないけれどもミスチルの曲は切ないと思う。こうやって誰かを愛したいとも、思う。      
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