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ホテルは四階建てで、最上階にオーナー家族が住んでいた。
道路に面した方角の窓は娘の部屋。彼女は夜、灯りを消して、顔もわからない男女の逢瀬を眺めるのが好きだった。人の形をした陰の会話を想像しながら。
彼女はまだ、男性と親しく話したことがなかったから。
だから、彼女がその人に気付いたのは必然だった。夜、やはり月が明るい日だった。
出窓の棚の上に片膝をたて、長い黒髪をさらりと背に流しながら彼女はそっと下界を見る。僅かな光に照らされ、道は静かに風を紡ぐ。ホテルの窓から漏れる人工の光と混ざりあい、不思議な色をした月の道。
そこを一人で歩く、男。
急ぐわけでもなく、何か荷物をもっているわけでもない。その姿だけでは理由の見えない通行人。
僅かな光に照らされたひょろりと長い人影は、彼女に『あしながおじさん』を想像させた。
そっと窓を開けて、その背が去っていくのを見つめた。初秋の僅かに冷たい空気が彼女の喉を通る。
それをごくりと飲み込んで、見送った。角からその背が消えるまで。
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