一球入魂

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一球入魂

今度こそ感じる事ができるかもしれない。   バッターボックスには全国でも名高いスラッガー。 相手に不足はない。   必然と目線が交差し俺は身震いする。 怖いからではない。 武者震いともなにかが違う。   単純な興味だ。   腹の底から沸き上がるような感情を必死に押し殺す。   顔にはだすな。球種が悟られてしまう。 だが駄目だ。どうしても口元が緩んでしまう。 勝負したい。 あの感覚を……思い出したい。     初めて三振を取った時、その感覚を感じた。   投げた瞬間に聞こえる絹の擦れる音。 その後にくる白球の澄んだ匂い。 そして、あの感覚。   もう一度感じる事ができれば、俺はまた飛べる。 そんな気がするのだ。     カウントはツー・ナッシング。 もう少し、もう少しなんだ。   視界の左端に走者が映る。 だか構わない。これが最後の一球。 バッターも理解している。 ストレート。   セットポジションから天高く両の拳を振り上げる。 ワインドアップ。   不思議だ。視界が狭まる。 歓声が遠のいていく。 研ぎ澄まされているのだろうか。 心臓がいつもより高い位置に感じる。   これで最後だ!   キャッチャーミットに向け腕を振り抜く。 込められた思いが空中を突き進む。   瞬間、耳にする絹擦れの音。 時間差で感じる石灰の匂い。   どれも短い。 これだ、この感覚だ。   体中に鳥肌が立つ。 背筋がゾクゾクする。   感情なんて押さえ切れない。 全身を駆け巡る。   途端、視界が広がった。 会場の歓声が一斉に戻ってきて地鳴りがする。   すごい。   俺は膝を折り曲げ、拳を振り下ろし、体全体で喜びを表現した。   この感覚を得たいがために俺は野球を続ける。 ありがとう、好敵手。 これでまた、前へ進む事ができる。
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