🍁紅葉(もみじ)

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水かけ観音とは水子供養のために奉られた観音である。 この世の光を見ることなく旅立った、小さな命を導くためにと。 後から後から誰かが置いてゆくのか、うず高く積まれた花束とお菓子が地蔵の前の祭壇を埋めている。 キャラクターの絵の入ったお菓子や、色とりどりの小さな靴下や帽子は山寺の景観と不釣り合いに華々しく、他のどのお堂よりも賑わって見える。 それだけ子を失った母達の思いは強いのだろう。 他の木々はまだ青いまま色づいていない葉も残るというのに、水かけ観音の祠を包み込むように拡がる紅葉は、その一画だけ燃えるような赤だ。 紅葉の葉は赤子の手に形が似ている。 幾百、幾千もの血を滴らせた赤子の手が救いを求めるように、観音に向かって伸びている。 私は柄杓を握り、溢れた水が縁を包み込むように静かに伝い落ちる石鉢から手水をすくうと観音にかけた。 一日に幾百、幾千の母達の嘆きを受け止めているのだろう。 水を浴び続けた観音の両目の窪みの下には、溜まった水滴が流れ落ちる跡がくっきりと残っている。 それは救いを求められ続けた水かけ観音が、その重さに耐え切れずに悲鳴を上げ、涙を流しているように見えてならない。 私は十代の頃に一度子供を堕ろしている。 当時付き合っていたクラスメートにも私にも、まだ子供だった二人に親の反対を押し切って将来を賭け、責任など取れる筈もなかった。 そう、あの時はああするより仕方なかったのだ。 人として泣き笑い、今自分の横に肩を並べて立っていたかもしれない生命が失われたのだから『仕方ない』で済まされはしないだろうが。 あの子は今も黄泉の彼方で、冷たい手術具で切り刻まれた血の滴る小さな手を伸ばして、母になる筈だった私に助けを求め続けているのだろうか!? 私はふと背後に人の気配を感じ、何杯目かの水をかける手を止めた。 ゆっくり振り返ると、白い着物を着た長い髪の女がニタニタとこっちを見て笑っている。 女は病院の中でしか見ることがないような、出産後に身につける前開きの浴衣のようなものを着て、櫛も通していなさそうな白髪交じりの黒髪が伸び放題に青白い顔を半分覆っていた。 この肌寒い季節に足は裸足で爪は泥が入って不潔に黒く、手にはおくるみに包んだ赤ん坊らしき物を抱いている。 眠っているのかぴくりとも動かないが、生まれて間もないのだろう、紅葉よりも小さな手がおくるみの端から覗いていた。
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