楽園への帰着

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反逆者は常に社会からの逃走を試みてきた。だが、故郷を捨て、自分の欲するがままに旅立った彼の居場所はどこにあるのだろうか。結局のところ、彼が向かう先は『虚無』でしかない。『虚無』にはあらゆる可能性が秘められているが、それと同時に『虚無』に安住することは不可能である。つまり、反逆者はいつしか故郷に帰らねばならないのだ。   そんな反逆者たちには三つの選択肢が残されている。まずひとつは『個』であることを放棄し、ある政治共同体、人間を超越した神秘的な存在、カップルなどの一部になること。次はナルシズムの孤島に固執し、自らのパロディとなってしまうこと。(ミック・ジャガー、ジョニー・ロットン、モリッシーなどがこれに当てはまる)そして最後は、燃え尽きて消え去ってしまうことである。   たったひとりの反逆を続けてきた反逆者は『個』であることの不毛さに目覚め、母胎の聖域、理想の女性像、あるいは母なる大自然や大宇宙といった大いなる存在へと回帰していく。そんな反逆者の代表例がジミ・ヘンドリックスだろう。猪突猛進するロックン・ロール・ワイルド・マンとしての生活に疲れたジミは神秘主義に目覚めていき、死の直前にレコーディングした曲は究極の女性像に捧げられたものだったという。もし彼がこの世を去らなかったならば、おそらくロックの枠に留まることのないジャズやファンク、クラシックなどとの融合音楽を演奏していただろう。   もちろん『個』から『共同体』へとベクトルを向ける反逆者の全員が母親との連帯を求めているわけではない。クラッシュ、U2、パブリック・エナミーのように、男の連帯感を歌うことによって究極の父権主義ユートピアを探し求めるアーティストもいる。だが、本章においては主に母親との一体感を追求するロックについて触れることにしたい。バーズの田園生活を歌った曲、ヴァン・モリソンの再生主義ブルーズ、カンやピンク・フロイドの大洋や宇宙を思わせる流れなどは、いずれも母親と子供が一体だった幼年期へのノスタルジアを象徴するものである。武闘派ロッカー達は言語の中でも最も男根的なアジテーションや宣言などに魅せられているが、母権主義ロック・ミュージシャン達は言葉に固執しない。彼らが求める失われた一体感は未来にあるのではなく、言葉などなかった幼児期の楽園にあるのだ。
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