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ヴァイオリンを顎に挟み、調弦を始める。
ヴァイオリンの技術を盗まれてはならないと、人から隠れて練習したパガニーニ。
作曲した曲を盗まれてはならないと、本番直前にオーケストラに楽譜を配り、終わった途端に回収したパガニーニ。
明日の生活の保証のないヴァイオリニストは、自分を守るために必死だった。
孤独だっただろうな、今の僕みたいに。
パガニーニの『カプリース』。
僕は渾身の弓を女王に振り下ろした。
劇的な音階が辺りを包む。
その音に、僕の周りにひとりふたりと人が集まってきて、そして、ざわざわしていた駅が段々静かになっていく。
細い音で心の襞を紡ぎ出す。
言葉にできないくらい複雑な感覚に、誰よりも僕の心が癒されていく。
全ての演奏が終わった時、人だかりから歓声と拍手が湧き起こり、僕はびっくりする。
50人?100人?いや、150人?
何人いるのかわからないけど、とにかくバイオリンケースの中には小銭やお札が投げ入れられ、「アンコール」の声が方々から聞こえた。
しまった。
ストリート演奏はG社から暗に禁止されているんだった。
アンコールはないと、かぶりを振りながら、人だかりの中ヴァイオリンを片付けはじめると、「君、名前は?」「どこの学校なの?」と、何人もの人に聞かれた。
「いや、それは…。」
口篭もっていると、誰かから「ジム・ブラッキンに似てるねぇ。」と言われ、ドキッとした。
「そんな事ないですよ。」と否定すると、「ブラッキンがこんなとこで弾くわけないしね。でも君もブラッキンみたいになれると良いね。」と肩を叩かれた。
「しかし最近の若いヴァイオリニストは、皆ブラッキンの真似をする。」
おじいさんの声がした。
「そうだね。音色とか息遣いとか。」
おじいさんグループが、音楽談義しているのだ。
「あれだけインパクトのある演奏家だし、真似したくなるのはわかるが、ああいうのばかりになってもだね。」
「はっはっは!そのうち本物がどれかわからなくなったりして。」
女の子たちが、携帯カメラを僕に向けてパシャパシャしはじめる。
「…。」
僕は逃げるように、駅の構内に足早に向かった。
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