3.孤独な悪魔

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ヴァイオリンを顎に挟み、調弦を始める。 ヴァイオリンの技術を盗まれてはならないと、人から隠れて練習したパガニーニ。 作曲した曲を盗まれてはならないと、本番直前にオーケストラに楽譜を配り、終わった途端に回収したパガニーニ。 明日の生活の保証のないヴァイオリニストは、自分を守るために必死だった。 孤独だっただろうな、今の僕みたいに。 パガニーニの『カプリース』。 僕は渾身の弓を女王に振り下ろした。 劇的な音階が辺りを包む。 その音に、僕の周りにひとりふたりと人が集まってきて、そして、ざわざわしていた駅が段々静かになっていく。 細い音で心の襞を紡ぎ出す。 言葉にできないくらい複雑な感覚に、誰よりも僕の心が癒されていく。 全ての演奏が終わった時、人だかりから歓声と拍手が湧き起こり、僕はびっくりする。 50人?100人?いや、150人? 何人いるのかわからないけど、とにかくバイオリンケースの中には小銭やお札が投げ入れられ、「アンコール」の声が方々から聞こえた。 しまった。 ストリート演奏はG社から暗に禁止されているんだった。 アンコールはないと、かぶりを振りながら、人だかりの中ヴァイオリンを片付けはじめると、「君、名前は?」「どこの学校なの?」と、何人もの人に聞かれた。 「いや、それは…。」 口篭もっていると、誰かから「ジム・ブラッキンに似てるねぇ。」と言われ、ドキッとした。 「そんな事ないですよ。」と否定すると、「ブラッキンがこんなとこで弾くわけないしね。でも君もブラッキンみたいになれると良いね。」と肩を叩かれた。 「しかし最近の若いヴァイオリニストは、皆ブラッキンの真似をする。」 おじいさんの声がした。 「そうだね。音色とか息遣いとか。」 おじいさんグループが、音楽談義しているのだ。 「あれだけインパクトのある演奏家だし、真似したくなるのはわかるが、ああいうのばかりになってもだね。」 「はっはっは!そのうち本物がどれかわからなくなったりして。」 女の子たちが、携帯カメラを僕に向けてパシャパシャしはじめる。 「…。」 僕は逃げるように、駅の構内に足早に向かった。
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