影の手帳

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 8月28日、通り過ぎた台風の影響で雨が轟々と音を立てて降っている。  まさにバケツをひっくり返したような雨だ。  時折強風が吹き、窓の磨りガラスに大粒の水滴がパシパシとぶつかる。 「で、そのなんとやらさんを殺したゴンベエさんを探してくれと」  痩身で背が高く、頭が鳥の巣状態の、知的そうな顔をした男がある。  彼は、スポイトで試験管内の液体を吸い取って、別の液体の入ったビーカーに一滴入れる。  何の変化もないのでまた一滴入れている。 「何をしているのか知らないが、手伝ってくれるのか?」  ガッシリした中肉中背の模範的な身体つきで、いかつい顔をした別の男が、実験中の男に聞く。 「BTB液を使用しての簡単な実験だ。この液体は…」 「中学の実験なんてどうでもいい。  酸やら塩基やらを調べたいならリトマス試験紙とかpH試験紙を使えばいいだろう。  俺は、事件の犯人を調べてくれるかと聞いている」 「せっかちだなァ!それに、この実験で僕がしたいのは、酸性である液体を中性にするということだ。  この液体は今pH値が6。つまり、中性まであと10分の1歩…」  実験中の男が錐の先に、スポイトの口に表面張力でへばり付いている液体を載せて上手くビーカーに落とす。 「おぉ。緑になった」 「そりゃあ、なるだろうよ。中学校でこの指示薬がよく使われるのは、酸性とアルカリ性を上手く指す。  尚且つ、中性で上手く緑色になるからではないかと僕は思っている」  この実験男は、名前を朝長 振(ともなが しん)という。実験はよくしているが、学者ではない。 「ほう…。ではなくて、我々に協力してくれないかと聞いているんだ!」  一方、この男は今までの会話から推察出来るだろうが、刑事だ。名前は小柴 悟(こしば さとる)という。  二人は、昔からの親友だ。不思議な事に、幼稚園、小中高校、大学に至るまで全て同じ学校にいた。  二人が望んだのがたまたま同じ学校だったという。  小学、中学時代は両方が同じ教室になることは無かったし、大学の学部も違う。  朝長は化学工学科、小柴は法律学科出身。二人は大学を卒業後、それぞれの道に別れた。  片方は職無しの実験屋。片方は刑事である。世の中というのは不可解である。
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