幼少期~高校時代まで

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●8歳   今でもはっきり覚えてる、あの日の事‥   私はいつも通り、おばあちゃんに髪を結ってもらってた。 その時、 おばあちゃんがいつもとは違う声‥ 『何これ?ここだけ髪なくなってる‥』   6月の晴れた日、 私は円形脱毛になった。   その当時、円形脱毛症は一般的に知られてなかったし、 10歳にも満たない子供が発症する事は珍しい。   家族も驚き、すぐに皮膚科に。 緑色の薬を塗られ、それで終わり。 病名も何も説明されないまま、 『すぐ治るから大丈夫だよ』 と言われ、帰った。     あの時の恐怖感は忘れられない。   いくら子供でも 『これは円形脱毛って言って、誰にでもなる病気だよ』 その位の説明は欲しかった。 家族は心配はしてくれても、何も言葉は掛けてくれない。       1~2週間経ち、 頭のてっぺんより斜め左後ろに出来ていた円形脱毛は、 10円玉サイズから500円玉サイズまで広がった。   3週間後、 2つ目の円形脱毛が出来た。   2つ、3つ、4つと増えてゆく穴‥   カツラを被せられる事になった。 そのままでは惨めだろうという家族の配慮。   今となってはウィッグと呼ばれ、 雑誌などでよく目にする物になったし、通販で気軽に買える。 でも当時は美容院に行き、 2種類しかない子供様のカツラを選ばされた。 オカッパのカツラ。 人毛で4万は余裕でいく需要の少ない品。       初めて学校にカツラを被って登校した日、 『髪型変えたんだ』 と必死に笑顔を作ってごまかした。 心が痛かった。   でも我慢した。 頑張って学校に行った。 だって『必ず治る』って言ってたもん。   でも、カツラなんて 時間が経てば 気付かれる。   だって伸びないもん。   体育は激しい運動は基本的にやらない。 水泳なんて以っての外。    皆は髪を結ったり、切ったり、好きな髪型で登校する。 逆に 一年中、同じ髪型の私。 羨ましかった。   でも我慢した 涙も我慢した。 家族にも友達にも先生にも相談出来なかった。   我が家では髪の話はタブーとゆう空気になっていた。 無言の圧力。       我慢の日々。
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