幼少期~高校時代まで

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●9歳   毎日カツラで登校するのにもすっかり慣れた。 でも白い目で見られたり、陰口言われるのは、 慣れない。   段々被害妄想が酷くなってきた。 血の繋がってる家族の笑い声さえ、 私の事を笑ってるんじゃないかと思った。 学校にいても同じ。 だって私がカツラだって知らない人はいないだろうし。   我慢、それしかなかった。   友達にも円形脱毛の事を話せずにいた。 もし話していたら、もっと楽だったのかな? でも今当時の友達にも髪の事は話せない。 怖い。       鶴岡の病院には 酷い時は1週間に1度、 安定すると2週間に1度。 きちんと通った。   往復2時間の運転を、 何一つ言わず送り迎えしてくれた祖父。 今でも感謝してる。   けれど円形脱毛は 治らない。   夜眠り、 朝起きると枕一面、 抜け落ちた髪で真っ黒。 毎日毎日、大量の髪が抜ける。 それが日常茶飯事。   恐怖感 不安感 劣等感   9歳には重過ぎる。       我が家には 家族に欠陥はそれ程ない。 ただ父はパチンコ依存症。 夜11時過ぎに帰ってくるのは当たり前。 父は婿養子だから、家に居場所がなかったのだろう。 それを分からない祖父は夜ご飯になると必ず、キレて父の愚痴を言う。 父も父で注意されると逃げる。 お陰で、食事に良い思い出がなかったせいで、 私も弟も医者に心配される程痩せ型だった。   父はパチンコにお金を使いたい為に、 ボーナスを貰っても全く出さない時もあった。 給料は自分の好きなだけ引き抜いて、残金を祖母に渡すのが当たり前になってた。   幼い私に、父の事で当たる祖父母。 祖父母にどんな父の悪口を言われても、私は何故か、父を悪く思わなかった。 理由は分からないが、父は悪くないと確信していた。           一時期、髪が全くない時があった。 スキンヘッド。 全て抜け落ちたのだ。 でも動揺しなかった。   『必ず治る』 その言葉が嘘だと分かったから。 一生付き合ってくんだと思い始めた。   『髪は女の命』 よく聞く言葉。 『じゃ私は命がないんだ』 何でもマイナスに捉える性格に変わっていた。
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