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何か――ドアの前に立っていたらしい誰かと、ぶつかる。
白衣。その上の、無愛想な表情。
「‥‥パパ」
ぼくはパパの顔を見ると、『泣きたいような気持ち』になってしまった。
すみれの気分を害したかもしれないという申し訳なさと、パパを失望させたという情けなさと、緊張から解放された安堵が混じって、思考を侵食する。
――ぼくのヒトそっくりの身体は外側だけだから、涙なんか出ないのに。
すみれはパパを見据えて、口を開く。
「‥‥パパとママのところに帰してよ」
「それはできない。君のご両親は亡くなった」
「嘘」
「君も、その瞬間を見たはずだ」
すみれはパパを貫くような視線で、まっすぐ射続ける。
パパは怯みもせず、ただいつもの無表情だ。
「知らない人の言うことなんて、信じられない」
「君は私たちのことを覚えている」
「知らないって言ってるでしょう」
「脳に異常はないんだ」
パパのような研究員が脳という時それは、心理的な、という言葉で表される概念を含む。
つまり、それは。
「私が、嘘をついていると言いたいの?」
僕は残酷な答えを予想してぞっとしたけれど、パパはその質問に対して何も言わなかった。
言えなかった、のだろうか。
素っ気ない声はそのまま、しかし目を伏せて、呟く。
「‥‥金谷ご夫婦が嫌いなら、ここで暮らしてもいい」
「どちらも嫌」
「私、帰るの」
すみれは、もう誰も見てはいなかった。
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