シュテルンネーベル

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   あ、倒れる、かも、しれない。  桜色の爪、白樺みたいな人差し指、中指、薬指、きれいな手が、視界の端に見えた。もやもやとした、白骨、のよう。「××××!」バイオリンとソプラノサックスと、ホルンを混ぜたような素晴らしい発声が、音符になって流れているのを聞きながら、ブラックアウトした。    目が覚めると、真っ白な蛍光灯が見えた。真っ暗な瞼の裏の世界とは違う、病的なまでの白の世界だった。少し目を細めると、睫毛の先が見える、半分が闇に支配される。私は、倒れたのだった。誰かに運ばれたのだろう、赤いレザーのソファに身を横たえていた。今更ながら、学校から飛び出して、ライブハウスに飛び込んだのを思い出した。身を起してみると、大きな鏡があって、たくさんの椅子があった。「きこえる」とテノールの声が聞こえる。たくさんの椅子のひとつに、黒髪が肩くらいまで伸びたおとこのひとが座っていた。回転椅子をくるりと九十度まわし、私のほうに向きなおる。まるで羊毛のような美しい黒髪は、しゃらんとした涼やかな音色をたて、彼のなでやかな肩にそって流れた。「へいき、」と彼はぶっきらぼうに問いかける。言葉を発すると、彼のふわふわの長い睫毛が揺れた。だれなのだろう。そこらへんの人間とは違う空気を纏ったひとだと思った。なにより、発する声が、カラスじゃなかった。そう、まるで、バイオリンとソプラノサックスと、ホルンを混ぜたような、素晴らしい声だ。意識がブラックアウトする前に、聞いた声と同じ、私のような老熟したカラスのような声とは別世界の、夢のような、声だ。   「言葉を発するのに必要なスタッカートは幾つだと思う…。詩的なセリフほど、それは必要になってくる、そうだね…僕は少なくとも…六回は、必要だと、思う。」    彼はいきなりそのようなことを述べた。私は唖然として、彼の無駄にきれいな顔を眺めた。何をいきなり言い出すのだろう。彼は長い睫毛を揺らして、唇を動かす。「世界は楽譜なのだ」と。  
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