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「貴女は此処にいらした時、ご自分の事を"私"とおっしゃっていたのを覚えていらっしゃいますか?」
「え?」
あたしは自分の事を「私」とは呼ばない。
「……そうだったかな……」
「貴女は無意識のうちに自分に起きた悲劇から逃げようとして……失ったのですよ」
あたしを立たせながら、男は言った。
「何を?」
「貴女自身の身体を、失くされたんですよ」
――あたし、自身、か。
「何も可笑しい事ではありませんよ。人は嫌なモノからは逃げようとするものです。
貴女のように辛い出来事ならば、自己防衛とも言えます……まぁ、亡くなっていらっしゃるので余り関係は無い気もしますが」
厭味か。
はぁ、と息をついて、改めて部屋を見回した。
……真っ赤だ。
心なしか窓ガラスすら、うっすら赤みががって見える。
「あたし、成仏出来るのかな……」
「貴女が死を、その身に起きた惨劇を認めるのなら」
認めるも、何も。
あたしの喉にはお母さんが出刃包丁であけた、穴がある。
寂しいと呟いていたお母さんの記憶が、ある。
「……いかなくちゃ。お母さん、また寂しがってるといけないし」
「そうですね」
男は穏やかに笑った。
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