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「御前……そう、御前だ、御前。御前以外に誰がいようか?
名は?」
「聞いてどうする?」
ただ声帯を震わせただけの、温度を感じられない声。
「言った所で、何の意味が?」
「大事な事だ。真っ暗闇の魔界の底の、地獄の釜の奥底から、怨んで怨んで怨み抜くにも、名さえ知らぬのは味気無い」
「……-JOKER-と呼ばれている。切り札。大層なもん だろう?」
彼は長鎗の穂先を湿り気を帯びた地面に刺すと、あくまで自嘲気味にそう言った。
「個人的な恨みはない」
その利発そうに輝く大きな黒い瞳が、明らかに曇る。一瞬間が空いて言葉を続けた。
彼は必要とした。その行動が義務であり、等しく正義と結び付いている、そう彼自身が納得する為の言葉を。
「この世界の為だ。良くも悪くも、人間が積み上げてきた世界の」
「不安定で、不細工な石積みでもか?」
「そうだろう。そうだとしても、鬼が理不尽に崩しても良い理由は無い」
「鬱陶しい。さあ、去らば」
「嗚呼、暫しのお別れ」
-JOKER-の右腕に握られていた<涅槃>、奇妙に湾曲したその長鎗が、二の腕程もある尺の銀の穂先が、するりと狂いなく首筋へと吸い込まれて行く。
魔族の体は、重心が変わり揺らぐと、地面に吸い寄せられた。
-JOKER-はぐっと唇を噛み締めると、赤く汚れた長い黒のコートを翻した。昔語りに現れる吸血鬼の伯爵のような影が、風を受けた蝋燭の炎のようにゆらりと揺れて、誰に何を言うこともなく戦場を後にした。 影だけが彼を見送っていた。
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