鬱屈

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  釈然としないままピアノの椅子に座る…。 姿勢を正し、呼吸を整えピアノに触れてみる。 しっくりと指によく馴染む感じ… その感覚は不思議と紗夜子を落ち着かせた。 ―何だろう この感じは… 前にも触れたことのあるような… とても懐かしい感じ…― 紗夜子はなんとなしに月光を弾いてみた。 先刻、確かにこの部屋から聴こえたその旋律だ。 不思議な安らぎに魅せられ、時間の経つのを忘れて弾いていると ふいにノックの音が聞こえた。 少しの沈黙の後に扉が開き、若い男性が母親とともに入ってきた。 「先生、この子が娘の紗夜子です。 紗夜子さん、こちらが新しくご指導して下さる蒔野先生ですよ。 さ、先生にご挨拶なさい…」 「初めまして、二ノ宮紗夜子です。 宜しくお願い致します。」 決して上出来とは言えない挨拶に母は微妙に不服そうな顔になったが 蒔野は気にも留めない様子で至って爽やかに挨拶をした。 「蒔野司です。紗夜子ちゃん、どうぞよろしく。」 にこやかに笑う。 特に悪い所は無かったが紗夜子はどうもなんとなく苦手なタイプだなという第一印象を抱いてしまった。 年は30代前半から半ばぐらいだろうか。 背は高すぎず低すぎず、程よく焼けた肌が健康的で白いシャツがよく似合っている。 無造作に決めたのか元々無造作なのかよくわからないヘアスタイルも決してセンスが悪いとは言えない。 そんな雰囲気に 明るい笑顔がより爽やかさを増していた。 でも… 何というか 空気が違うのだ。 この人と私とは世界が違う…。 何故かなんて明確な理由はわからない。 けれど 何か本能的なものがそれを告げているのだ。 紗夜子は逢って数分しか経たないであろうこの男性に理由もなくその様な感情を抱いていたことに 少なからず罪悪感を覚えていた。 この人は決して悪いことをしたわけではないし 感じがいい人じゃないか この先指導していただくのだから仲良くやっていこう、と思うことにした。 けれど 紗夜子が感じた空気の違い…心の歪み…違和感のようなものは決して拭うことは出来なかった。 それはそう… ちょうどクラスメイトにさりげなく明るく話しかけられた時のような感じ… 紗夜子はそんなとき難なく答えはするが、時々虚しさや物悲しさのようなものを感じていた。 紗夜子は孤独だったのだ…。
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