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ミトラの近くまでたどり着くと、すでにあたりは暗闇に包まれていた。
夜空には、二つの月が輝いている。純潔と美の姉妹神、バイスとフォス。
急速に冷えていく夜気の中を、部族の者たちの興奮がいまだにアビラを通して伝わってきている。
岩山のいたるところで赤々としたかがり火がたかれ、まるで神に奉納する祭礼の儀式がとり行われているような物々しさだ。
「ファナ」
かぼそい呼び声に横を向くと一人の少女が立っていた。
痩せぎすの体には、ラサの繊維を織った白い腰布のみがつけられている。
少女のしなやかな黒い体には、いたる所に刺青が彫られていた。
なかでも目をひくのは腰布からのびている二匹のからみあう竜の姿だ。か細い鎖骨の下、薄い乳房をはさんで互いに向かいあう竜の姿は彼女が神聖な霊をもっていることを示している。
一族の巫女<シャーマン>、リラだった。
「リラ。何があったの?」
ファナはそう尋ねながら、なぜリラの姿に気がつかなかったのかをいぶかった。砂漠からミトラまでの間には体を隠すような場所は何もないというのに…。リラはみんなが噂しているように、精霊の力を借りて突然この場所に現われたのだろうか。
「砂鮫がわたってきたよ」
ゆっくりとした調子でリラが答える。
「知ってる。砂鮫の親子をデュマの近くで見かけた」
「ただの砂鮫じゃないの」
「ただの…砂鮫?」
ファナのとまどっている姿が面白かったのか、リラの唇がわずかにつりあがって微かな笑みを形づくった。
「ヒュームの使徒、白き砂鮫をバハがとらえたの」
白い砂鮫!
ファナは言葉を発するより先にアビラから驚きの感情をほとばしらせていた。
伝説に出てくるヒュームの御使いであり、強力な精霊を持つといわれる白い砂鮫。
その白い砂鮫をバハが捕らえた!
ファナの脳裏に黒く逞しい肢体を持つ男の姿が浮かんだ。
「ミトラじゃすごい騒ぎ」
リラが平然とした口調で答える。
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