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その平静な様子をみて、ファナは再びいつものとまどいを感じた。
近隣の部族が集まっての華々しい祭りや、猛々しい戦士たちの勇猛さを競いあうレスリング<トーラ>の祭典においてさえリラは表情をくずすことがない。まわりの者たちがアビラを解放し、熱狂の渦のなか興奮に酔いしれているさまを、ただひとり静かな黒い瞳で見据えているのだ。
「精霊の肉をもらいにいかないの?」
ファナが当然の質問をリラに聞いた。今頃は部族の女たちが捕らえてきた砂鮫を料理にかかっているはずだ。
「その額の傷…また飛んでいたんだ」
ファナの質問にはこたえず、リラはファナに近寄ってくると腰にさげている甲牛<ヌース>の胃袋でつくられた薬袋とりだした。うすいピンク色をした掌に薬草をひろげ、両手ですりつぶすようにこすりあわせている。
「薬をつけてあげるからかがんで。ファナって本当に体が大きいんだから」
両翼を地面におとし、首をリラの顔の前にむける。目蓋をとじながら、まるで供物にあげられるヌースの子供みたいだとファナは思った。翼の生えてる不格好な仔牛だ。
「少し上をむいて」
リラが子供をあやすようにファナの額に両手をあてると、ファナの鼻孔に薬草の強い香りがひろがった。
うすく目を開けると、リラが黒いしなやかな指で傷口にふれていた。
部族の中でも一番の踊り手、ミシュラの両手よりもリラの手は美しかった。
過去と未来をたぐりよせ、現世へと解き放つ巫女の両腕。
「砂漠から不吉な気配がするからここまできたの。そうしたらファナがいるんだもの・・・・不思議に思って・・・・おも‥て」
ふいにリラの動きが止まった。
視線は砂漠へとむけられている。
砂漠から生暖かい風がふいた。リラの体毛が逆立っているのがみてとれる。
「ク…ル…」リラがか細くささやいた。
「くる?」
額にあてられたリラの指がふるえていた。バラムの疫鬼がとりついた病人のように体中が痙攣をおこしている。
『精霊!』胸のうちでファナがつぶやく。
リラに精霊が憑依しようとしている。
「リィィィバァアアァ!」
リラの絶叫。
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