2-1 おじいちゃんがくれた奇跡

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 2-1 おじいちゃんがくれた奇跡

 依然大学病院への定期的通院が続いていました。両親の心配は、手術した手足がちゃんと動くのかどうか、内臓に異常はないか、そして成長に遅れはないかどうかでした。    成長の方は、言葉などの発育は人並みの早さでした。何にでも興味を示し、特に文字や町の看板、乗り物への興味が強く、すぐに「あれは何ていうの?」と聞いていたみたいです。風邪をひきやすい体でしたが、一応安定していました。手も少しずつ動かせるようになりました。ただ、足の方は手術を終えても、一向に歩くことができず、二才、二才半と時が経っていくばかり。お医者さんからも、「三才までに立つことができなければ、手術はしたけれども一生歩けないでしょう」と言われていたようです。    私の記憶でおそらく一番古いのが、三才の頃、遠く離れた神戸に住んでいた祖父に抱っこされたことと、その温もりです。    前章の小話を読んでくださった方なら、母方の祖父が「新幹線じぃちゃん」という呼び方になることに気づいてくださったことでしょう。家族親戚の中でも特にこの「新幹線じぃちゃん」は初孫の私を可愛がってくれ、また歩けずにいたことを心配してくれたようです。常々「歩が~歩の足がなぁ」「わしが代わってあげたい」と言っていたようです。    昭和55年。もうすぐ三才になろうかという夏の早朝。一本の電話が、神戸から家の母にかかってきました。    「お父ちゃんが…お父ちゃんが散歩中に…倒れて死んだ…」  「!!…」    電話は「新幹線ばぁちゃん」こと祖母からでした。前日まで元気だった祖父が、早朝に「散歩に行ってくる」と行ったまま帰ってこず、途中で倒れて冷たくなっていたのをたまたま通りかかった人によって発見されたのでした。    あまりに突然の死。激しく動転しながら皆が神戸に向かいました。「死」の意味すら分からない私ももちろん。    母の記憶によると、葬式では、何も分からない私が霊柩車を指差して「おじぃちゃんいいなぁ。あんな金ぴかな車にのってどこいくん?僕ものりたい」って言ってはしゃいでたそうです。そして霊感の強い母は、葬式の様子と私の様子を、天井から祖父がじっと見つめていたのが見えたそうです。この二つのことが印象に残ったようでした。
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