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2-2 最初の試練
私の記憶でもう一つ古い記憶は、当時住んでいた団地のことです。アパートで両親と仲良かった近所の人のお宅。大きな冷蔵庫はじめ、当時珍しかった電子レンジなど、とにかく茶色で統一された大きな家電の数々が強く印象に残っています。そして同じく近所の幼なじみ「あっちゃん」、よくゴーカートにのったり、車のおもちゃで遊んだりしました。あとは近所の面白いおじさんとか。不思議なことに、当時住んでいた自分の家のことを全く覚えていません(笑)
そして忘れられないのが、自分の左足ひざの骨を見た、あの日の記憶――
その日、私は母に連れられて、バスに乗るために公園を横切っていました。手をひかれながら、次の瞬間、私は砂利に足を取られてひざから転んでしまいました。けれど全く痛くなく、立ち上がろうとしましたが立てませんでした。異変に気づいた母が振り返ると、私の左足をみて真っ青になりました。
私の左ひざはぱっくりと大きく割れ、肉を挟む前のハンバーガーのパンのような形になっていました。骨だけでつながっていて、ぶらぶらでした。そして真っ白な骨が出ていました。全く痛くなかったのが不思議なくらいです。
すぐに近所の人の車でとりあえず近くの外科に行きました。幸い、すぐ処置してもらえました。それまで骨が見えていながら全然痛みを感じなかったのに、とにかく砂利だらけの傷口を消毒しようと大量の消毒薬を噴霧した瞬間、はじめてものすごい痛みが走りました。暴れに暴れながらも局所麻酔をし、縫合しましたが、20針以上縫いました。今でもそのときの痛みを思い出すと、背筋が寒くなります。
「転んだくらいでこんなに裂けるなんて、ちょっとおかしいね」と、縫合しながら先生は言いました。
これが、手術以外では最初に牙をむいた私の病気の症状です。この後も度重なる怪我は続きますが、それは後のこと――
はっきりと「エーラスダンロス症候群」と診断された今となっては、この「皮膚が簡単に裂ける」という症状は、この病気の特徴の一つだと理解できます。しかし当時ははっきりとした診断を大学病院からもらっておらず、病気に対する不安、将来のこと…何もかも不透明なままで、「体質」ということで両親は自分を納得させるしかありませんでした。
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