2-3 引越し前後

1/1
前へ
/132ページ
次へ

 2-3 引越し前後

 記憶が前後している部分がでてきてまとまりがありませんが、このころのことを思いつくまま書いていきます。    このころは足に装着していた重い装具が外れ、歩くのもしっかりしてきました。また私は生まれつきものすごい「くせっ毛」で、風貌もあってかよく女の子に間違われていましたが、このころにはくせが取れてかなりまっすぐになっていました。今も女性に間違えられることがありますが(笑)それは後のこと…。    新幹線やLEGOが好き、マイクを持ったら離さない、など、風邪や自家中毒はしょっちゅうでしたが、なんとか元気には過ごしていましたが、ちょっとしたことで20年以上も治らない怪我を負ってしまいました。    ある日のこと、家族で市内中心部へ出かけていました。  人ごみの中で走ってきた大人とぶつかり、しりもちをついてしまいました。大きな血腫を作ってしまい、病院へ行きました。    このときの病院で、出血部分をメスで切開して血腫を除去しました。しかしエーラスダンロス症候群の特徴である「裂けやすく、くっつきにくい」皮膚のため、でん部という、常に接触する部分のため、この後20年以上も化膿と内出血を繰り返すことになりました。後の学校生活からは自分で座布団を持参したり、生活の工夫をしたりするようになりました。幼なじみは「なぜ歩だけ座布団?」と思ったかもしれません。  昭和56年には妹も誕生しました。私のこともあり、両親は妹の身体を心配したようでしたが、全くの健康で、現在も元気です。  妹が産まれてからしばらくして、市内の団地から郊外に引っ越しました。まだ団地が出来たばかりで、一期生として入居です。市内中心部から遠い山地で病院等も遠く、また冬場は積雪も多く、当時まだ車の免許を取っていなかった母はこの後、病院へのバス通いに苦労することになります。
/132ページ

最初のコメントを投稿しよう!

335人が本棚に入れています
本棚に追加