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確かに、母は一度も自分の意見を私に押し付けたことはなかった。
そのカレンダーに関してが最初で最後の我儘だったのかもしれない。
昔の思い出に浸っていると、降りる駅に到着した。慌てて電車を降りた私は、十年振りに生まれ故郷に戻ってきたのだとしみじみと実感した。
実家は駅から歩いて十分の場所にあり、良い立地条件だ。そういう面に関しては住みやすかったと思う。
ゆっくりと歩きながらキョロキョロと辺りを見回す。この歩道を私は十八年間、ずっと利用していたのを思い出し、懐かしさを感じる。
(ああ、本当に戻ってきたんだ。)
大学に進学をしてからはバイトと勉強の毎日で余裕が全くなかった。卒業間近になると、就職活動や卒論で毎日が多忙過ぎて、母のことなど考えもしなかった。
あっという間に時間が流れ、気が付くと三十路寸前だ。
そこへ母の訃報が入った。
(お母さんに、花嫁姿も孫も見せられなかったなあ。)
考えながら歩いていると、いつの間にかアパートの前に着いていた。
十年前まで住んでいたアパートは、余り変わっていない。塗装が剥がれているのと所々錆びている階段と、長年風雨に当たり続けていたためにボロボロになっている外壁だけが、十年という月日を感じさせる。
階段を上がろうとした私はふと、階段横に設置しているポストを見て驚いた。
鮎原以外の表札が一つもないのだ。
「もしかして……私と連絡が取れなくなるからと。帰って来れなくなるから引っ越さなかったの………?」
不意に涙がこぼれていた。
私は、親不孝な娘であることを実感した。
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