第2章第二代将軍徳川秀忠

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秀忠最大の失敗とされているのが関ヶ原の遅参である。 上田城の真田正幸、幸村親子の軍と戦い苦戦をさせられて関ヶ原に遅れたようである。 秀忠が到着した時には戦いに決着がついていた。 家康は秀忠に関ヶ原遅参について激怒したようである。 1605年、家康より将軍職を譲られ二代将軍になる。豊臣家に将軍は徳川の世襲であると示すための狙いがあったみたいだ。
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