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1623年、秀忠より将軍職を譲られ三代将軍に
秀忠が1632年に亡くなるまで秀忠が江戸城西の丸にて大御所として実権を握り続けていた。
家光が自分の政治を行うようになるのは秀忠死後である。
家光の弟忠長は当時駿河大納言として駿河55万石を与えられていたが、家光は彼を甲府に移し、秀忠の死後領地を没収し身柄を高崎に移して自害に追い込んだ。
身分制の犠牲になった忠長であったが、のちにこの時浪人した遺臣の子孫である柳沢吉保、有馬氏倫が身分制を打破して活躍するのは歴史の皮肉である
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