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「それで、その後君はどうしたんだい。」
食器を洗いながらあの狐が私に言う。「そんなの決まってるわ」窓の外を見て、私は背中から語りはじめた。
「何ヶ月か、リハビリをしたの。火傷のせいで少し体が麻痺していたから。」
ひゅおう、と風が一筋吹いた。今日は珍しく寒くなるらしい、朝のニュース。
「とても辛かった。本当に。」
「どうして?」
「だって、皆私の痕を見て、可哀想って言うのよ。同情なんて重いだけだわ。」
ため息が漏れる。
「なら君は、その時なんて言って言って欲しかったんだい。」
少しだけこちらを向いて、狐は言った。
「そうね…。」
あの時の気持ちを思い出しながら私は懸命に考える。考えて考えて考えて考えて、日が暮れてしまわないように出来る限り考えた。
「わからないわ、やっぱり。」
また、ため息が漏れる。その度に幸せの種と思われる黄色い塊がぽろうぽろうと東の方に逃げてゆくのを狐は見ていた、狐にしか見ていないようだったが、もしかすると私も気づいていたかもわからない。
「また、泳ぎたいのかい。」
私をぐずりと突き刺した言葉は、アスファルトに打ち付けられて根を張っている。「泳げるならね」そんな意味を込めて窓を閉めた私は、確実に狐を求めてしまっていた。
狐の中にあるマントルに触れたい。簡単には触れる事の出来ない、あの熱い核を私だけの手で触れてしまいたい。
狐は顔を少しも変えずに、私に「泳げるよ。」と言った。
ほんの数秒の間、私は彼が発した零度の瞳に囚われたが何事も無かったかのようにまたマントルを写しだしていた。
狐の中でうごめく塊は温度を一切変えずに、ただ兎の持っていた懐中時計の光を未だに見つめていた。
涙の軌跡が、誰かの心を泳いでいる。
それは、ミミズのようかも知れない。
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