天津神来れり

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 脱兎。逃げる兎の走り方は、相手を撒く為だけに進化した脚力である事が見て分かる。引き締まる後ろ足の筋肉は、生き残りを賭けた、自然との共存を元に進化した結果だ。  昔から、自慢じゃないが、足は速いし跳べば高い、平凡な肉付きの割りには力も有る。体力的には、一般の中高生よりは若干ある程度の自信はあった。しかし今の脚力、それに体力は、今までの自分を確実に越えている。それも驚愕の差と言ってもいい程に……。 (まだ、まだまだ速くなれる……?)  楼は最初から全力疾走していた。だがそれは、していた『つもり』で居ただけであった。  今の楼は、其処らの原付きと平行して走る事が出来そうなくらいまで速い。幾ら何でも速過ぎている。 (…………、)  自分の肉体の突然変異に対して、楼は若干目眩を起こした。が、それでもブレる事もなく走り続ける。  次第に後方から散々聞こえていた女の名前や、泣き声その他が響かなくなっていた。楼が後ろをチラリと振り向いてみても、そこには誰も居ない。 (ひとりだ……)  楼はゆっくりとスピードを落とし、最後に歩く様に、うつ向いて立ち止まった。ふと気付くと、手に持っているビニール袋が破れそうになってる事に気付いた。右手を胸辺りまで持ち上げて、クイックイッと上げ下げしてまだイケそうかを確認する。 (大丈夫……か……)  袋は若干伸びてビロビロになってはいたが、大丈夫そうだ。そういえば、まだ寮の門限には間に合うだろうか? 「……」  静寂が訪れる。先ほどのスーパーマーケットで確認した時間は、14時を廻った所だった。楼は左手に持つビニール袋も重いとか大した様子もなく、ポケットに入ってた携帯電話を取り出して、デジタル表示の時刻を見る。  16時32分。凡そ2時間半も走り回っていた。しかし楼は疲れる様子がなかった。 (俺の体……、どうなってやがんだ?)  不安が一気に押し寄せてきた。いや、先ほど走り回っていた時から、楼は違和感を感じて居た。しかし気付かないフリをした。追って来る連中を撒くのが先だ、今はポジティブに考える方が正解だと。  楼は住宅街の外れまで来ていた。橋が架かっているのが見える。その先は町を出て山を抜け隣町だ。  周りには一人も居ない。今頃は、帰宅するお父さん達が居てもおかしくない時刻だが、若干暮れてきた空の下を行く人影は、楼を除いて他には居ない。  
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