雫の華

11/11
前へ
/49ページ
次へ
「……スミマセン……戻ります!」 最初、小さく聞こえた声は、しかしすぐ、張りのあるよく通る声になって聞こえてきた。その声に高嶋が振り返ると、室井が席を立つところだった。 その表情は、先程までとはまるで違っていた。記憶を探りながらも、確りと言葉を紡いでいた彼とも、高嶋を拒否し、自身の殻の内側から周囲を窺う彼とも違う。 褪めた瞳には何も映さず、口角を上げて造った笑顔は、全てを凍り付かせるかと感じさせる程に冷たい。 僅かであるにしろ、ほんの少し前に高嶋と言葉を交わした室井は、もっと人情味のある温かい人間に感じられた。そんな彼と、今、目の前にいる彼が同じ人間だとは、まるで思えない程なのだ。 芹沢にしても、同じ事を感じたのだろう。鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔で、室井を見ている。そしてそれは、高嶋も同じだった。 室井は、そんな二人の視線に自身の視線を絡ませる事なく、ネズミ男に連れられて部屋を後にした。ネズミ男が早口で話す声が、遠ざかっていく。 ネズミ男を止めようとしていた二人の婦警は、高嶋らとは違う視線でその背中を見送っていた。 「高嶋さん……」 芹沢の呼び掛けに振り返る。その表情には、このまま帰して良いのか、という問い掛けが読み取れた。しかし、 「罪状は殺人容疑だとしても、それは本人が言ってるだけで、死体はないし目撃者も証拠もない。引き留める理由は何も無いんだ」 高嶋はそう言って肩を竦めるしかなかった。それよりも気になる事がある。高嶋はそれをはっきりさせる為に、婦警達に声を掛けた。 「岡さん……だったかな? ちょっと聞きたいんだが」 その声に、コーヒーを持ってきてくれた婦警が振り向く。その表情は警察という職務に就く者の表情ではなく、何処か夢を見ているかのような、少し幼く感じるものだった。 「あの男性について知ってる事があるなら、教えて欲しいんだが」 その質問に、岡と呼ばれた婦警は表情を引き締めて警察の顔に戻ると、口を開いた。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加