アイム・イン・ヘブン

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 真夜中、豪雨の中を一台の車がビルの谷間を走っている。  ときおり乗用車とすれちがう以外には動いているものはなく、車はまるで川を流れる木の葉のようにビルの谷間をすり抜けていく。  夕方から降り始めた雨は一向にやむ気配をみせず、よりいっそう激しい勢いで車のフロントガラスにつきささってきた。  乗っているのは、一組の男女だった。  車の中では、叩きつけてくる雨音にワイパーの規則的な音、そしてカーステレオから流れてくる音楽が響いていた。  この歌の曲名は何だったろう。そうだ…確かエラとサッチモの…。  男は、ラジオから流れている曲の題名を考えていた。  実際のところ曲名などはどうでも良かったのだが、男は次第に頭を覆ってくる耐え難い睡魔を追い払うため、無理に何かを考えようとしていた。  曲にあわせ、断片的に覚えている英語の歌詞を口ずさんでみる。 「チーク・トゥ・チークか」  男は独り言を言うと、ラジオのボリュームをあげようと左手をのばした。  助手席でうたた寝をしている女を男はそっと横目でながめた。  隣の女は、あさい寝息をたてている。シートベルトをかけた胸が、ゆっくりと呼吸にあわせて上下している。  ぐっすりと眠っている女を見て、男はボリュームのボタンにのばしていた左手をひっこめた。ため息と共にでてきたあくびを噛みころす。  ふと、男の視界の端に、反対車線を通り過ぎようとする大型トラックがすべりこんできた。トラックはわずかに蛇行していた。  男が不信に思った瞬間、唐突に車がライト光に包まれた。  トラックがこちらの方へ近づいて来た。  車のフロントガラスをトラックの影が覆う。  ハンドルを急激に左へときる。  鼓膜をつんざく接触音。  女の小さな悲鳴。  暗転。
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