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あなたが本を読み"何も変わらない"のであれば、その本は普本となる。
「少しは影響されるのでは?」
と、思われる方もいるだろう。
では、普本について述べよう。
先に述べたように、普本とは"善悪と捉えきれない物"である。
善悪が物事の端にあると例えるならば、そこに行き着くまでの過程全てが普本。
確かに、本を読めば何かしらは影響されるもの……。
しかし、その影響を受けて自分が【行動】出来なければ意味がない。
行動する事が出来た時、初めて善悪の"結果"が待っている。
人を助ける本を読み、人を助けた時に結果が……。
人を傷付ける本を読み、人を傷付けた時に結果が……。
どんなに本を読んでも、相変わらずな自分がいるのでは、あなたにとっては普本となる。
しかし、"時間のかかる結果"を得る場合、少し話が変わってくる。
例えば……
あなたが医者になりたいと、医学書を読んでいたとしよう。
これを読み得た知識が、行動へと変わるには時間がかかる。
知識を得ただけではまだ普本であるが、継続して医者になり、人を助けた時には【大いなる結果】となる。
勿論、医者にならなくとも、知識を共有すれば結果となる場合もある。
本から得た自分の知識が他人を押し上げたともなれば、その本は両者の"善本"となり普本ではなくなる。
「なら、普本と善本ばかりを読めば問題ない」
しかし、それだけを選ぶのは至難の業。
何故なら、"普本"の持つ物の意が深い上に、悪本に至っては、悪い本とわかりながら"外す"事が出来ないからである。
勿論、悪本を読み悪に走る事はお勧めしないが、時として触れる事も重要になる。
「悪 わからずして 善 語れず、善 わからずして 悪 語れず」
と私は思う。
己に足りぬ物を意識し、それを学ぶ事も必要。
そして、基盤となる【理念】だけは必ず忘れてはならない。
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