時が蝕む

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  彼女は横たわっていた。   水の涸れた水槽の底で。   水槽の天井に塗られた発光塗料がぼんやりと水槽の中を照らしている。   ガラスの壁はコケとカルキで濁ったように汚れていて、彼女の弾性プラスチックの体も同様だった。 伏せられたまぶたの隙間から見えるわずかな瞳に光はない。       彼女は何十年も前からこの水槽の中にいて、 もう何年もこうして横たわったまま。 彼女が人魚として華麗に泳ぎ、歌を歌っていたことなどもぅ遠い昔のこと・・・。     水はなく、水草は干からび形をなくし、岩はただ押し黙っている。   彼女の関節の潤滑膜は擦り切れ、疑似筋肉は柔軟性をなくし、今の彼女はまぶたひとつ動かせない。   狭い視界に入るのは曇ったガラスと、その向こうに続く闇。   ここが地下施設であるせいで、自然の光は入らず、外の音も聞こえない。   彼女は最初のうちは悲しんだ。   施設が突然に閉鎖し、徐々に荒廃していく様子を。   自分の居場所がなくなるよぅな気がしたからだ。   でも、彼女の居場所は水槽の中にしかなかった。 だれも水槽の外へ出してくれなかったし、水槽の外をうろついている作り物の動物たちには逃げ出すだけの知恵はなかった。  水の中に残された彼女はよく思っていた。 自分も作り物の動物たちのように、バッテリーが切れればいいのに、と。 毎日毎日歌ってももぅだれも私を見てくれないなら、と。 自分で自分を止めてしまう術を知らなかったから、ただ願うしかなかった。     人工声帯は錆び付いてしまって願いを歌うことはできない。       苦し紛れに手で床をたたくこともできない。       溢れてくる涙にさえ 音はない。   体が動かず、声もでず、   この静寂を紛らわす方法はない。       ひたすら彼女は横たわっているだけ。
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