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と、その瞬間、ガルボはおもむろに僕を、そしてリヒノフスキーを抱き締めた。
「今日を楽しみにしてたんだ!バッハも喜んでいるだろうよ!」
ガルボはついでにリヒノフスキーの母も抱き締めた。
「いつ見ても美しいね。トレビア~ン。」
鬼母が頬を染める。フランス人は女性の扱いが上手だ。
「それはそうと、今日は何語でいこうか?セルジュはロシア語?」
「いえ、僕は英語でもフランス語でもOKです。」
リヒノフスキーは答える。
「じゃ、NYだし英語でやろうか。ジムもOK?」
OKも何も、僕はNY在住で英語が母国語のようなものだ。
「ウチの子は7カ国語はいけますのよ。今は新たにチェコ語に挑戦してますわ。」
リヒノフスキー母はガルボと僕を見て微笑み、そして続けた。
「世界中を演奏旅行されてるブラッキンさんなら、さぞ語学にはご堪能でしょうね。」
「…。」
世の中、英語とフランス語とドイツ語がわかればどうにかなると経験上思っている。
「はっはっは!マドモアゼル、私は世界中で演奏してるが、ロシア語がどうも苦手でね。美味しいケーキでも食べながらご教授願えませんかな。」
ガルボは僕に助け舟を出してくれた。さすが、世界中のソリストたちから絶大の人気を得ているマエストロはまるで聖人のようだ。
早速ガルボは、リヒノフスキー母をエスコートして歩きはじめる。
「ぼ、僕は?」
リヒノフスキーが慌てて付いて行く。
その姿はまるで、恋人を取られるものかと二人の間に割り込むお邪魔虫のようで、何だか笑えた。
でもケーキと言ってもリハーサルはもうすぐ始まる。どうするんだろう?
「ジム、準備はできたか?」
僕のマネージャー・ルドが、舞台そでに繋がるドアから出てきて手を振った。
いや、まだヴァイオリンがケースに入った状態で肩にかかってる。
「何やってんだ?始まるぞ。」
その声を聞いて、前を歩くリヒノフスキーも肩をすくめた。彼の肩にもヴァイオリンケースがかかっている。
「お~仕事の時間だ。さあ、ステージに行きましょう。」
マエストロはそう言うと、顔だけ振り返って僕にウィンクした。
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