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僕とリヒノフスキーは、和やかな雰囲気でオーケストラの前に現れて軽く会釈をした。
あぁ、順調だ。
あのリヒノフスキー母がいなければ、こんなに気持ち良く仕事が進むんだ。
って、あれ?
リヒノフスキー母はどうした?何でこんなに大人しいんだ?朝の様子じゃとても黙っていない感じだったのに。
そう思ってホールの客席を見渡すと、リヒノフスキー母はルドと一緒にいた。
「…。」
心なしかルドが憔悴して見える。もしかして、ルドはずっと彼女の相手をしていたのかな。
「…。」
有り得る。
昼休み中、愛息のリヒノフスキーは彼女の前から消えてしまっていたわけだし、次に彼女が“構いたい”人間は、当然僕のはずだ。
彼女は僕に、文句を百ほど言いたかったはずだ。
それをルドは阻止してくれたのだ。
ルドには気の毒な事だけど、正直言ってありがたい。
リヒノフスキー母の“文句”は、演奏に絡んでくるだけに、まともに聞くと自分の演奏ができなくなるからだ。
僕は心の中で、ルドに感謝のVサインを送った。
かくして、本番さながらのリハーサルが始まる。
曲が進む。
邪魔者がいなくて気持ち良く始まったバッハだけど、弾き進むにつれて何か腑に落ちない気持ちになってきた。
リヒノフスキーの演奏は、午前中のリハーサル時の僕の演奏にそっくりだった。
元々単純な作りの曲だから、そう大幅に解釈の違いが出ることはないのだけど、それだけに微妙な音色の変化や、アゴーギグといった揺れが演奏家の個性として現れる。
午前中は彼には彼の音楽があったのに、今は僕と同じ音色、僕と同じアゴーギグ、そしてボウイングのちょっとしたクセまで似せている。
最初のうちは譲歩してくれてると思ったのだけど、段々、ここまでくると、模倣なんじゃないかという思いが頭をもたげてきた。
リヒノフスキーの表情を見たけど、彼は全く悪びれる様子もなく、真剣な表情で演奏をしている。
「…。」
違った個性がぶつかってこそのダブルコンチェルトなのに、模倣してどうする?
大体こんなにコロッと音楽を変えてコイツにはプライドがないのか?
一楽章が終わる頃になると、僕の気持ちはもっとダークになっていた。
僕の音楽を盗まれている。
そうとしか思えなくなっていた。
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