1.神童リヒノフスキー

9/11
前へ
/87ページ
次へ
僕はマエストロ・ガルボを見た。 彼がどう考えているのかを知りたかったからだ。 でも、彼は何事もなかったかのように、僕やリヒノフスキーに微笑みかける。 「…。」 当たり前だ。彼は恐らくさっきのランチ休憩の時に、「ジムはこのように弾いていたよ。」とリヒノフスキーにアドバイスしているのだ。 真似をしようが盗もうが、結果的に良い音楽が出来上がれば彼は満足なのだから。 そもそも、演奏の真似が悪いことなのかと言えば、そうではない。 演奏家は師匠の真似をし、技を盗みながら自分のスタイルを作り上げる。 芸の世界には“学ぶ”をもじって、“真似ぶ”という言葉すらある。 それどころか、僕とリヒノフスキーのような対等な立場であっても、「共演者の○○さんから影響を受けました。」なんて美談っぽく語られる事があるくらいだ。 実際は他人から技や知識などを盗んで、自分の芸の肥やしにしているにも関わらずだ。 真似をしたところで普通に演奏する分には、法的には何の咎めもないどころか、世間では美談になる。 それに「真似をするな。」と相手に直接訴えたところで、「自分も同じ解釈だ。」などと言われたらそれまでなのだ。 すごく腹が立つ。もし、普通のヴァイオリン学習者に真似をされても何も思わないだろうけど、相手は天才リヒノフスキーだ。 同業者に企業秘密を盗まれているような気持ちになる。 客席のルドを見たけれど、彼は小難しい顔をしながら僕に「このまま続けろ」とばかりに頷く。 当然ルドはこの状況に気付いているはずだし、でも彼が「続けろ」と言うならば続けた方が良いのだろう。 それに彼の目は僕に音楽に集中しろと告げていた。 「…。」 僕は目を閉じた。 こういうつまらない感情に支配されていては、バッハは弾けない。 動揺するのは止めよう。真似をするならすればいい。 僕は手のひらの汗をジーンズで拭い、ストラッド女王を顎に挟むと、糸巻きに手を当てて軽く調弦をし直した。
/87ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2152人が本棚に入れています
本棚に追加